歌川広重の浮世絵(複製版画の通販にリンク)



柔らかタッチで、旅情豊かな世界。
正確な描写ではないが、誰もが共感する題材を選び物語をイメージさせるのが文系といわれる所以。ただ、自由奔放な北斎、国芳、気位が高く自滅型の歌麿などと違い硬いイメージもあるが、北斎への対抗心、武士出身の気位もあり調べてみると面白い人物。
下に一押しの浮世絵絵師のアンケートも作りました。人気絵師のランキングを作りたいと思いますのでご協力ください。

歌川広重の生涯



1797 微禄ながら幕臣、火消し同心の安藤源右衛門の長男として生まれる 幼名 徳太郎、安藤広重とも呼ばれることがあるが、これは本姓で呼んでのことだが広重は絵師として姓であり歌川広重が正しい。
1809 13歳 母が没し父が隠居、徳太郎(広重)が同心職を継ぐ、そして父も没する
1811 15歳 歌川豊国に入門を断られ歌川豊広に入門
1812 16歳 歌川豊広より歌川広重の画名を許される
1818 22歳 小川町の出火の際の活躍で幕府より賞される
1823 27歳 家督を譲り、絵師に専念
1832 36歳 このころ、東海道五十三次が刊行され名声が高まる
1858 62歳 コレラにて没す 辞世の句は 東路(あづまぢ)に筆をのこして旅の空 西のみくにの名所を見む
 

 作品(複製版画の通販にリンク)  私の感想


日本橋の朝、木戸が開き、空は朝焼け、国に帰る大名行列、魚河岸からの仕入れ、江戸時代の朝の雰囲気が伝わる。広重の代表作、東海道五十三次の一番有名な絵。
 街道の山道で激しい夕立にあってしまった旅人、雰囲気の伝わる作品。
 富士山の安定感と夏の積乱雲、稲妻のコントラストが自然の大きさを感じさせる。
 思い切った構図と、夜の暗さ、花火の明るさ、夜の川の深い藍色がすばらしい。広重の死の1ヶ月前に発売されている。
 大きく描かれたこいのぼりが躍動的。後ろの細かな町の景色と大胆な構図。昔のこいのぼりは本当にこんなにリアルな鯉が描かれていたのだろうか。
 箱根の険しい山が描かれている
ゴッホが模写したことでも有名な絵。梅林と春の暖かさが描かれている
謎解き 広重「江戸百」 (集英社新書ヴィジュアル版) という本によれば、安政の地震により傾いてしまった五重塔が修復された慶事を9月の出版にも変わらず、雪景色にして紅白のイメージにしたとの事。
謎解き 広重「江戸百」 (集英社新書ヴィジュアル版) によると遊女を描くことが禁止されていたので、かんざしや、白い猫で遊女の白い肌を暗示、猫が遊女そのものイメージしている。
 鷹の目線から眼下の冬の海岸沿いの景色を描く、空を飛んだことのいない時代を考えれば斬新。
  亀山の城と雪のあとに晴れた時の明るさがうまく描かれているが、江戸時代、亀山城下で親と兄の敵を討った仇討ちがあり、その亀山の仇討ちの成功の晴れ晴れした感じを象徴した絵とも言われている。広重か武士の出身であったことも思い出させる。
蒲原は、本来、雪がほとんどらない場所だが雪景色にしている。深々とふる雪と寂しげな旅人と宿場の町並みが叙情的な広重の絵の傑作のひとつ。
夏の海岸に捨てられたスイカの食べかすがアクセントになっている
 鳴門の渦潮を描いた大判3枚続きの作品、遠くの海の色が浅い水色に変っているのがさわやかで、手前の渦潮と対比されることにより広がりが感じられる。
 この絵も鳴門の渦潮だが、渦潮の力強い潮の流れをダイナミックに描いている。
投網の瞬間を捕らえた絵で、動きのある感じが広重の絵には珍しい。
冬の深々とした雪景色が抑えられた配色で描かれている。
現代の千葉県市川市の真間は住宅地、今の姿と比べてみるのも楽しい。
風景画が有名だが、花鳥画もさすがだ
 仲良く泳ぐ番(つがい)の鴛鴦(おしどり)を描いているが「おし鳥の わかれも見たり 朝嵐」という句が添えられている。

浮世絵 複製木版で楽しもう。
葛飾北斎 複製木版で楽しもう。

歌川国芳 複製木版で楽しもう。
喜多川歌麿 複製木版で楽しもう。
東洲斎写楽 複製木版で楽しもう
鈴木春信、鳥居清長 複製木版で楽しもう
歌川豊国、国政、渓斎英泉 複製木版で楽しもう

参考図書 
 広重の最後の大作、名所江戸百景、略して江戸百の裏に隠された時代の出来事、ニュースを暗示させる表現を説明している。あとがきに広重は多感な年頃に肉親を無くし、高いところから景色を眺めてさびしさを癒してのではとの推測を書いているが、広重の静謐な感じの絵の背景にはそんなこともあったかもしれない。